2012.07.09 全校集会
@生活・安全委員会からの発表がありました。
望ましい校外生活を考えるために、全校生で次の問題を○×クイズ形式で考えていきました。
「夏休みは明るいので、7時まで遊んでよい」
「暑いので、柞田川で友達と泳いでよい」
「やさしそうな人なので、ついていってもよい」
「自転車に乗るときは、帽子でもよい」
「自転車は、必ず右側を通る」
「小学生は、自転車で歩道を通ってもよい」
その後、生活・安全委員会担当の先生からまとめのお話しがありました。
A校長先生から、以下のようなお話しがありました。
今から24年前に坂出の小学校に勤めていた頃の話です。
1988年4月10日に大きな出来事が起きました。瀬戸大橋が開通したのです。
工事中には、坂出の小学校に勤めていました。工事も見に行きました。 香川県側の最長の橋、南北備讃大橋です。 高さは194mもありました。エレベーターで一番高いところまで上がりました。 そこからの見晴らしは最高でした。
また、作業台まで、船で行きました。 白い泡が流れていました。何でしょうか。潮の流れです。 瀬戸大橋は、潮の流れが速いところです。1秒間に2mから3m流れます。
ところで、瀬戸大橋を作った人の中に、次田秀夫さんがおられます。丸亀の人です。
昭和30年に高松港から 連絡船が霧の中を出港しました。連絡船の名前は紫雲丸です。 貨物船と衝突し、乗船していた修学旅行生168名が亡くなりました。 橋があったらという思いが香川県民の中に起こりました。
そして、1988年に念願の瀬戸大橋が開通したのでした。 次田さんは、海に潜って、橋の工事の中で難しい海の中の工事をしました。 50mの深さの海の中は真っ暗で濁っています。ライトをつけても、1m先が見えません。 海の整地をするために、15mもの粘土や砂を取り除かなければなりせん。 岩盤も平らにすることはさらに難しいことです。 平らにした上に、15階の高さのケーソンを沈めなければなりません。 速い潮のため50cmずれても(失敗で)きちっとした土台になりません。 次田さんは、300回も潜って、海底の工事がきちんとできているかどうかを調査しました。
その頃、次田さんの妻は、がんで余命後わずかでした。仕事場から病院に行き、妻につきそいました。 毎朝、弁当を作り、娘を学校へ送り出した後、洗濯をして、出勤し、そしてまた病院へ行く生活が何カ月も続きました。 職場ではそのことを口にしなかったそうです。 こんな大変な工事をしながら、毎晩病院に行くなんてすごい人でしょう。
香川県で大変な仕事をされた30人の方を紹介している本を校長室に置いていますので読みに来てください。

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